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【連載】日本一若い!? 訪問看護師の挑戦

第18回 期待の新人、落合

執筆 川添高志

ケアプロ株式会社・代表取締役社長

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第4章では、ケアプロで働く個性豊かなスタッフたちへのインタビューで紹介しよう。 今回の主人公は、訪問看護師の落合実。落合は今年の1月からケアプロに参画しはじめたばかりのニューフェイス。ニューフェイスながら、"ケアプロ訪問看護ステーション足立"の新設に大きく貢献した、今後のケアプロを支えるキーパーソン。 今回は彼のこれまでの生き方と将来について語ってもらった。


17歳で一家の大黒柱に

僕は、生まれは福岡県で23歳から東京に出てきました。 僕の家は母子家庭で、母と妹と僕の三人家族。母がヘルパーをしながら家計を支えていました。しかし僕が高校生の時に母が若年性アルツハイマーを発症し、それから僕の生活も一変しました。 母が働けなくなったため、僕もアルバイトをしなくてはならなくなり、小学生から続けていたサッカー部もやめました。生活保護の申請をしに行った時には、とても嫌な思いもたくさんしました。

僕の夢は中学生の時からずっと、看護師になることでした。 小学生の時に友人を亡くした経験もあって、人の死や生に興味がありましたし、人の人生に一番深く関わることができる職業だと思ったからです。高校に通うのも精一杯だった中、看護学校への進学を目指すのはとても苦労しました。 でも母親の「親のせいで子供の人生を制限してしまうのは悲しい」という言葉と、多くの友人や先生、地域の方などの支えがあり、卒業、進学できた高校時代はとても良い思い出になっています。

落合さんの写真

中学の頃からずっと看護師になることが夢だったという落合

終末期医療との出会い

結局、高校卒業後は、働きながら通える夜間の看護学校に進学することができました。 昼間は内科系の病院で看護助手や准看護師として働き、興味のあった終末期の患者さんにたくさん関わらせていただきました。このときの多くの患者さんとの出会いが、今の僕の人生に対する考え方の土台になっています。

今でも仕事でつらいことがあった時、その頃に出会った患者さんのことを思い出します。 僕を看護師に育ててくれた患者さんたちや職場、学校に対して、いつか福岡の地域医療を良くすることで恩返しをしたいと思い、今も日々ケアプロで頑張っています。

終末期医療に関わっている中で実感したのは、死に際は本当に人それぞれということ。 たくさんの人に愛されて亡くなる人、最後まで笑顔の人、なんとなく悲しそうな人。人々の死に際を目の当たりにすることで、自分の死はどういうものがよいだろうか、自分自身がこうありたいと思う死を迎えるためには、今どう生きればいいだろうか、と考えさせられます。僕自身が律せられるような経験も多くありました。

病院勤務から訪問看護へ

僕が東京に出てきて、ケアプロに入職する前には、大学病院に勤務していました。 大学病院でも終末期の方に関わることが多かったのですが、死を間近にして、自宅に帰りたいと訴える人は本当に多いです。でも実際は、家族のマンパワー不足や、訪看を探しても受け入れてくれところがないなど、在宅の環境が整わず、帰れない人がたくさんいました。

そんな現状を少しでも変えたいというのが、ケアプロに参画するようになったきっかけです。

孤独死の問題もそうですが、病気や障害のある方が社会から分離されているなと感じることがよくあります。 僕の夢は、そういう人たちが地域の中で住みたい場所や行きたいところに行け、地域と関わりをなるべく長く持ち続けながら生活できる地域や社会を作ること。難しいとは思いますが、看護や医療を通じて、もっともっと病院でも在宅でも生き方に選択肢のある、生活に多様性のある社会づくりに貢献していきたいですね。

落合さんが働く"ケアプロ訪問看護ステーション足立"が入るビルの写真

落合が働く"ケアプロ訪問看護ステーション足立"が入るビル

※次回は、被災地支援で出会った訪問看護師、加藤さんのインタビュー、水曜配信です。