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【連載】日本一若い!? 訪問看護師の挑戦

第25回 痛みがわかるこの立場を活用するために

執筆 川添高志

ケアプロ株式会社・代表取締役社長

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「看護は世界共通なのに、日本の決まりに自分を合わせなければならない」ことが納得できなかったという栗原。その後、聴覚障害は相対的欠格条項に改正され、無事、国家試験を受けて看護師免許を取得することができた彼女だった。今回は、聴覚が失われていくなかで、栗原が看護師を諦めなかった理由を聞いてみた。


聴覚を失って得た安堵感

私の聴力は、看護学生の頃から低下し始め、常に失聴のリスクを抱えていました。 そのため、新卒時から「聴こえなくなったら看護師として働けなくなる、その前に希望する領域や医療機関で思い切り経験を重ねておきたい。経済的にも働けるうちに働いておかなければ!」と必死になっていました。

しかし、次々と眼前に立ちはだかる困難に対し、「障害をもって働くことは医療現場ではマイナスにしかならないのか」と鬱々とし、もどかしい気持ちを抱くようにもなっていました。そんな時、ある患者さんから「健康な人より、患者の痛みがわかると思う。頑張って障害を補う方法を考えていけばいい」と言われたことがありました。 とはいえ当時の私は、活用できる資源や知識など持っていなかったため、同じような境遇にある人たちへの支援方法を見出そうと考え、大学院へ進学しました。

2009年後半から、徐々に私の聴力は失われ始めました。日々の生活や仕事の中で、「今日出来ていたことが、明日はもうできないかもしれない恐怖」や「日々できなくなること」の恐怖と闘っていました。 それは例えると、砂浜の波打ち際に立ったときのような感じといえましょうか。ひき波の時、足がすくわれて、底の見えない砂の中へひっぱられてしまいそうな感覚、そんな感覚でした。

そしてとうとう約半年後、「聴覚を失う」その時がきました。けれど不思議なことに、とてもほっとしたのです。変ですよね。 ある文献には、心身を病み自殺をする方もいるとありましたが。今までずっと「いつくるか、いつくるか」と怯えていただけに、その時以後は「もう恐怖に怯えなくていいんだ」と思えたのです。

しかし一方では、聞こえなくなることへの恐怖が、私の気持ちに張合いをもたせていた、特に看護師として働くためのエネルギーはそこから来ていたことにも、失聴してから気付いたのです。

「諦め」の中での新しい出会い

2010年9月に人工内耳手術を受け、補聴器を併用すれば近くの人となら、話せるまでに改善されました。ですが、補聴機器を外せば、ほぼ聴こえない身であることに変わりありません。 そのため、「やはり看護師として働くことはできないだろう」と考え、細々、身辺整理をしていた時に、知人から、ケアプロの訪問看護ステーションを紹介されました。

失聴後、障害者手帳を取得したので、障害者雇用枠で事務職等として働こうかと考えていましたが、心の奥底では看護師として働くことへの気持ちを断ち切れていなかったことも確かでした。

※次回は、ケアプロで働き始めた栗原さんのエピソード、月曜配信です。

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