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【連載】Dr.パクのドタバタ離島医療奮闘記

第2回  島医者、新しい職場で自分の医療レベルを見直す

執筆 朴 大昊(ぱく てほ)

鳥取大学医学部地域医療学講座 助教

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看護師は夜勤のラウンドや訪問看護など、患者さんの健康状態を確認する機会が多くありますが、患者状態を適切に判断するためには、プライマリ・ケアの技術が大いに役立ちます。

本連載では、拠点病院などによる後方支援を期待できない土地で、医療・検査機器などもない患者宅で医療を提供する「へき地医療」を通じ、“究極のプライマリ・ケア”と地域医療の実際を解説します。


「お前の医療レベルがその島の医療レベル」

この言葉は沖縄の島医者たちに受け継がれる温かい(?)格言で、私も沖縄本島で研修しているときは何度も言われながら必死で研修していたものです。

こう見ると残酷なようですが、実際離島では私以外医師はいません。診療所は私(医者)1人と看護師1人と事務員1人の3人チームです。

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診療所は島の集落の中心部にあって、レントゲン、エコー、血液ガス、顕微鏡、心電図、除細動付きモニターがあり、経過観察用にベッドが2つほどありました。

そこにしか医療施設がないので、使用頻度に関わらず、救命に関わったり緊急で使用したりする可能性のある薬品なども置いていました。

といってもレントゲンもエコーも患者の移動から撮影など、すべて自分で行わなければいけないのですが。

島の診療所に訪れる患者さんは1日約10〜30人程度で高血圧や糖尿病、脂質異常症、COPDなどの内科慢性疾患、変形性関節症や骨粗しょう症、肩こりなどの整形外科疾患に小児の予防接種や発熱、腹痛などの急性疾患、気分障害、不安障害、統合失調症などの精神疾患の患者さんが多かったように思います。

他にも膠原病、産婦人科、耳鼻科、眼科、口腔外科、形成外科など本当に様々な診療科にまたがる患者さんが訪れていました。

離島に赴任する4年目にしてはだいぶ背伸びをしていたと思いますが、沖縄本島で研修していたときは、脱臼整復や骨折の固定、エコーなどの手技も自ら行うだけでなく、後輩に指導もしていましたから、それはそれは自信を持っていました。

そんな赴任して1週間も経たない頃、転倒による肩関節脱臼で受診してきた男性が現れました。

ところが、いざ整復してみようとすると、うまくいかないのです。

看護師さんと2人で必死に腕を引っ張るのですが、あんなに自信があったはずなのに「この方法でいいよな?」とか「力入れすぎて折れちゃわないかな?」と普段ならそこまで考えない不安がよぎりだします。

結局なんとか整復して事なきを得たのですが、赴任早々後輩に意気揚々指導していた私の自信はもろくも崩れ去りました。

あんなにたくさん経験したし、できると思っていたことができないことに愕然としたのもつかの間、その後も通常なら難なく対処できていた小児の喘息発作もRSウイルスの肺炎に思えてきたり、慢性疾患のケアも急性期の対応も、思ったように実力が発揮できないと感じるようになりました。

しかし、ほどなくして私は気づきました。

「実力が発揮できないんじゃない、これが本当の実力なんだ」

自分の医療が通用しない!!

沖縄本島の病院では、別に指導医に指導されていなくても、困ったら聞けばいい、周りには看護師も複数いてうまいこと介助してくれる。指導医が黙って目の前を通り過ぎたりしているということは、暗黙のOKサインを出してくれている。そういったことに離島で初めて気がついたのです。

それからは「以前自分の思っていた実力を半分ぐらいにしたら本当の実力だ」と素直に考えることができるようになりました。

かつてアインシュタインは「学校で学んだことを一切忘れてしまった後に、それでも残っているもの、それこそが教育だ」と言ったようです。

私はその言葉に強く共感しつつ、“でも学んだことを忘れてしまったら島医者はどうしたらいいの!?”と泣きそうになり、それからさらに必死で勉強を始めるのでした。

みなさんも全能感に満ち溢れている人に心当たりのある方もいるかもしれません。自分自身でも自信のあることはあるか思います。

しかし病院の名医は離島に来ても名医とは限らないのです。アメリカに行ったらお金をATMから下ろすのもよくわからなかった、そんな感覚に近いかもしれません。

これも離島医療の難しさを痛感する出来事でしたが、実はこれからさらにたくさんの困難が待っているのでした。