【連載】Dr.パクのドタバタ離島医療奮闘記

第15回 医療におけるソーシャルキャピタル―患者の健康を支える医療以外の要因

執筆 朴 大昊(ぱく てほ)

鳥取大学医学部地域医療学講座 助教

Np drpaku pic

看護師は夜勤のラウンドや訪問看護など、患者さんの健康状態を確認する機会が多くありますが、患者状態を適切に判断するためには、プライマリ・ケアの技術が大いに役立ちます。

本連載では、拠点病院などによる後方支援を期待できない土地で、医療・検査機器などもない患者宅で医療を提供する「へき地医療」を通じ、“究極のプライマリ・ケア”と地域医療の実際を解説します。


皆さんは健康ですか?

これをお読みの皆さんの中には糖尿病や高血圧の人がいるかもしれません。脳梗塞や骨折をした後で後遺症が残っている人もいるかもしれません。 “病気は人を不健康にするものである”というのは概ね正しいと言えますが、しかし病気がなければ健康か、という問いに対し簡単にYesとは言えません。

健康は様々な要素によって構成されています。

仕事や家庭をはじめとした生活環境のストレスが人を不健康な状態にすることはよくあります。さらに社会的な格差や社会との結びつきもその人を健康にするのに重要な要素として最近注目されています。

これらは健康の社会決定因子1)と言われます。

そしてその健康を規定する要因の一つとして「ソーシャルキャピタル」(社会関係資本)2)が注目されています。

「ソーシャルキャピタル」とは?

ソーシャルキャピタルとは、これまでの人的、物的な資本とは異なり、人付き合いや信頼などの関係性に基づく資本と言われます。

波照間島にはCTもなければコンビニも、信号すらありませんでした。

医療専門職は少ないですが、心臓病や脳の病気、癌の人もいれば、アルコール関連疾患も精神疾患の人もいました。

まさに物的、人的資源は都会に比べて乏しいことは否めないでしょう。

しかし、私は非常に強いソーシャルキャピタルがあったと思うのです。

例えば、みなさんの地域では認知症の高齢者が様々な症状を呈し対応に困った時、どのように対応しているでしょうか?家族が介護できなければ、近くに訪問看護、介護がなければ、どうしますか?

波照間島で認知症の症状がひどくなれば、施設に入所するために島を離れなければいけないのでしょうか?

昨今、認知症を患う高齢者の交通事故や徘徊して迷子になってしまう事例が大きな問題となっています。波照間島にも当然要介護度が4-5の人もいましたし、認知症の周辺症状で徘徊したり、妄想や様々なトラブルを抱える人はいました。

しかし、波照間島ではそういった人たちが安全に、安心して暮らすのに十分なだけ、地域のサポートが手厚かったと思うのです。

地域の人が、その人がどこに暮らしているどういう人か、家族はどんな状態かまで詳細に知っていました。意識的に「患者」の背景を知ろうとしたのではなく、生活の関わりの中でその人を知っており、これまで世話になっていたり、迷惑をかけていたり、地域の人とその人との間に長期的な関係性があったのです。

地域の人たちは医学的に病態を理解していたとは言いませんが、その人の「変化」に対して、ほとんどの場合上手に対応してくれました。

例えば徘徊していつも売店に来てしまう時には売店の売り子さんが適切に対応してくれましたし、いつもとは違う方向に歩いていれば、そこを通った人が修正してくれるのです。

以前記載しましたように、昔世話になったというご近所さんが家族の不在時に要介護者の入浴、排泄、食事などの世話をしてくれたこともありました。近くに住んでいる若者が薬の確認や様子を見に行ってくれることもありました。

むしろ私自身が、患者さんの病態の変化に対して「この人は島で暮らしたいと強く願っているけれど、限界かな」と諦めかけることがありましたが、その度に地域の力に驚かされました。

医療資源としてのソーシャルキャピタルが患者をケアする

あるおじぃは石垣島では周辺症状のコントロールが非常に困難な認知症の方でした。

手が出たり、暴言を吐いたり、周りを汚くしてしまったり。

慢性期と急性期の病院を行き来しながら家族も疲れ、様々な病名をつけられて、どうしようもないと言わんばかりの状態で波照間島で暮らし始めました。紹介状にはパンしか食べません、歩けませんなどのコメントが並んでいました。

しかし、島で暮らし始めて島の関係性の中に戻ると、おじぃはすぐにご飯を食べ始め、歩きはじめ、介護者の名前をしっかりと呼んで暮らすようになりました。




おじぃはいたずらと笑顔が印象的な方ですが、この写真はその介護者とともにおじぃが宮古島に旅行に行った際のものです。

これはソーシャルキャピタルだけでなく、地元、自宅に帰ったことや様々な影響も大きいでしょうし、私としては魔法のような医療や介護が存在するとは言いませんが、しかしこの方の劇的な変化は忘れられない経験でした。

当然、突然の変化が何か起これば周囲の人も驚くでしょうが、その場合は診療所や保健師さんを介してその人にとってキーパーソンとなる人を交えて話すこともありました。地域ケア会議、ケアカンファは、波照間島の場合、役職名で集まるというより、その人に何かができる人、関われる人の集まりだったような印象です。

私はこの波照間島のソーシャルキャピタルが、古き良き日本の村社会に過ぎないのであれば、これからの日本にとってあまり参考にもならないと悲観的な気持ちにもなります。

なぜなら「いい時代だった昔」にはいくら懐古的になっても社会が逆戻りすることはありません。

人間社会が進歩し続けていることを信じ、古きを温めて新しきを知る、これからのソーシャルキャピタルの活用方法を模索していかなければならないでしょう。

波照間島の地域の力は、少なくとも人的、物的な要素だけで人の健康や幸せは規定されないということをまざまざと私に知らしめてくれたのです。

参考文献

1)健康の社会決定要因(SDH)に関するWHO主要文書の邦訳.WHO神戸センターホームページ(http://www.who.int/kobe_centre/mediacentre/sdh/ja/), アクセス2016-02-18.

2)ソーシャルキャピタル関連資料. 厚生労働省ホームページ(http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000092042.html),アクセス2016-02-18.