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【連載】患者の語りから学ぶ 看護ケア

第32回 認知症当事者の尊厳を守るかかわり方を

解説 後藤惠子(ごとう けいこ)

東京理科大学薬学部健康心理学研究室 教授 認定NPO法人健康と病いの語りディペックス・ジャパン 理事

医療者が患者の治療・ケアを行ううえで、患者の考えを理解することは不可欠です。しかし、看護の現場では、複数の患者への治療や処置が決められた時間に適切に実施されなければならないことが日常的です。また、心身が辛い中で療養している患者は、忙しそうに働いている看護師に対して、自分から治療や生活上の悩みや困難を訴えるのも勇気のいることでしょう。

そこで、患者の病いの語りをデータベースとして提供しているDIPEx-Japanのウェブサイトから、普段はなかなか耳にすることができない患者の気持ち・思い・考えを紹介しながら、よりよい看護のあり方について、読者の皆さんとともに考えてみたいと思います。


若年認知症当事者の方々が声をあげるようになり、認知症に対する正しい理解も進み始めていますが、まだまだ「認知症になったら何も分からなくなってしまう」「何もできなくなってしまう」という誤解や偏見は、認知症の当事者やご家族、そして医療者にも根深いものがあります。それらによって早期発見の遅れや、医療現場でさえ当事者の尊厳を軽視したかかわり方がみられます。

認知症になっても、何も分からなくなるわけではない

59歳でアルツハイマー型認知症との診断を受けた男性(インタビュー時64歳)
こちらからご覧ください

PETであのー、これでは、これはひょっとして、あの、アルツ、アルツハイマーではないかっていうことを友人から言われて、行ったんですね…。

―― そう言われたときは、どんなふうなお気持ちでしたか。

ま、それは大変でしたね。その、ひどい、ひどい、えー…ま、自分もそういう、その何て言うか、あのー、病気になるっていうことは考えられなかったですよね。アルツハイマーっていう、多分まあ、わたし自身が、このー、あの…、わたし、わたしたちが考えていた昔の…考えは、もうこの、こういう、あのアルツハイマーになったらもう何もできないとか、そういうの思っていたわけですよ、わたし自身も。


元脳外科医であった男性は、易しい漢字を書けなくなる、目の前のものが見えているようで見えないという異変を感じてから診察を受けるまでに5年もの歳月を要しました。「アルツハイマーになったら何もできなくなる」という当時の医学的知識から自分の病気を受け入れられなかったからだと語っています。

「NPO法人 健康と病いの語り ディペックス・ジャパン > 認知症の語り」より

68歳で脳血管型認知症との診断を受けた男性の三女(インタビュー時50歳)
こちらからご覧ください

もう最初のころは、まだ父もしゃべれましたし、まひもなくって。認知症になってなかったものですから、しゃべることもできましたし、理解もできていたので、父のほうにも説明をされたりとかはありましたけれども。父がもうしゃべれなくなって、本当に認知症が出てきた時点では、父と私と一緒に診察室に入って、検査の結果を聞きに行くんですけれども、お医者さんがですね、父にはどうせ分からないだろう、みたいな感じの態度があって。もう主にしゃべるのは、まあ娘が来てるからかもしれませんけど、私に対しての説明で、CTの説明を受けるときも、「こことここがあれだから、(どうせ本人には)分からないんだよ」みたいな言い方のときもあったりとかして、どういう医師なんだろうと思うこともありましたけど。

「NPO法人 健康と病いの語り ディペックス・ジャパン > 認知症の語り」より

忙しい医師は、診察の効率を上げるために、家族が来ている場合には家族に向かって説明することが多くなるのかもしれません。しかし、こうした態度は、言外に「認知症になったら、何も分からなくなる」ということを示すことに他ならないのではないでしょうか。先日、医療者を対象にした認知症対応力向上のための研修会で、「ご家族が来られている場合でも、ご本人に向けてきちんと説明するようにしましょう」との説明がありました。この家族介護者の体験は、稀有なことではないようです。


記憶や理解の能力が落ちても、何も分からなくなるわけではありません。フランス発の認知症ケア技法であるユマニチュードでは、「相手を見ないことは、相手がいないも同じこと。人は、見て話しかけられることで、自分の存在を認識する」とされています。看護にかかわる皆さんも、何気ない振る舞いが当事者の尊厳を軽視した振る舞いになっていないか、日頃の態度を振り返ってみませんか。
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