【連載】Dr.パクのドタバタ離島医療奮闘記

第18回 波照間島に赴任して

執筆 朴 大昊(ぱく てほ)

鳥取大学医学部地域医療学講座 助教

Paku

看護師は夜勤のラウンドや訪問看護など、患者さんの健康状態を確認する機会が多くありますが、患者状態を適切に判断するためには、プライマリ・ケアの技術が大いに役立ちます。

本連載では、拠点病院などによる後方支援を期待できない土地で、医療・検査機器などもない患者宅で医療を提供する「へき地医療」を通じ、“究極のプライマリ・ケア”と地域医療の実際を解説します。


離島医療は非常に奥深いもの

私はこの連載の第1回で、もともと医療行政や医療政策がやりたくて、臨床医として生きていくことに自信もなく、離島医療を終えたら臨床医をやめようと考えていたことを書きました。結果として私は今、大学の教員となり学生に臨床医として患者さんと向き合う魅力を伝えています。

医師が医師であるとはどういうことか。あなたはどんな人間なのか

波照間島での生活は、それが問われ続けた2年間だったように思います。医学部を卒業し、医師免許をもっていて、治療ができれば医師といえるでしょうか? よく医師は「人のためになる仕事」といわれますが、人のためになるとはどういうことでしょうか?

一方で、島医者は常に医学の情報に精通し、どんな問題にも完璧に対応できなければならないとしたら、そんな医師は存在しません。医学の知識は膨大ですし、患者さんもそれぞれ教科書通りはでない複雑な人間です。自分よりも人生の酸いも甘いも経験してきた人たちの痛みや苦しみに直面したときに、私はいかに振る舞うべきなのか。

離島はある面、逃げ場のない社会です。それは島医者にとってもまさに真実でした。だからこそ、私は向き合うことができた。波照間島は、私が本当の意味で医師になった場所といえるかもしれません。

離島医療は「これまで」「現在(いま)」、そして「これから」の本当にさまざまな努力によって支えられています。地域医療においては、医師がいれば看護師がいさえすれば解決するという問題はごくわずかにすぎません。医療者が必要なのはいうまでもありませんが、頭数をそろえれば解決するというのは地域医療を軽視、もしくは実態を理解していない発言としか思えません。

波照間島において、紹介先となる沖縄県立八重山病院では離島医師のサポート体制がありました。診療上の相談、島での医療提供体制に関する相談、離島医師のメンタルサポートも含めた相談のパイプがありました。また、県立診療所ではありましたが、竹富町波照間の唯一の診療所として町役場とのコミュニケーションも非常に重要なものでした。

急患発生時には、海上保安庁のヘリコプターが10名弱の医師を含むメンバーで24時間365日迎えに来てくれます。重症患者さんの対応で困り果てた島医者にとって、彼らはヒーローであり、そのかっこよさは言葉で表現できないものがありました。

そのほかにも、離島医療には島内外の本当にさまざまな要因がかかわっていますが、何より重要なのはその地域で暮らす住民の意識でしょう。彼らもまた、海に囲まれた離島の宿命の中で、常に医療について考えています。いい島医者とは何なのか? 自分たちは島の医療をどう考えるのか?

翻って、皆さんの地域で求められている医療はどんな姿なのでしょう? 何でも診断や治療ができる“神の手”でなければ許されない? いい医者と優しい医者の違いは? CTがある方がいい? 主治医の診療所というのは、どうあれば地域にとって最善なのでしょうか?

私は島を離れて、人と人とが干渉し合わない距離感の社会に戻ってみて、便利な組織や制度が数え切れないほどある日本の社会の重厚さを再確認するとともに、“無責任さ”も感じることがあります。 

山ほど病院や診療所にかかって、山ほど健康に関する取り組みや情報があって、結局あなたは幸せでしょうか? あなたが命の相談をできる人はいるでしょうか? 膨大な情報や薬、医療機関に囲まれた患者さんに出会って、一体この人の命や健康、生活全体を誰がみているんだろうと考えることがあります。

もしかして、結局誰も責任を取らないでいい、そんな状態になっていやしないかと心配になるのです。

逃げ場のない離島医療は孤独か?

私はそう思いません。島医者の一番のサポーターは島民でした。Give and Takeという言葉があるように、私は島民からすべてを与えられました。島で電気関係の仕事をしている人は、電気の調子が悪ければすぐに対応してくれました。サトウキビ農家はサトウキビを栽培し、工場職員は工場で仕事をします。

そして私にできることといえば、医療を行うことだけなのです。私は医療の提供者ではありましたが、同時にそれ以外の受益者でした。そして、同じ島に暮らす仲間として皆、私という人間とつき合ってくれたのです。

島を離れてみると、驚くことに「島の医療は医療機器もないし、1人だし、大変だったでしょ」というようにとらえられることが多いです。しかし私の感覚は逆です。距離感、関係性が築きにくい都会では波照間島のような濃厚で重厚な診療ができません。苦しんでいる患者さんを前に、「波照間島だったら、この人は苦しまずにすんだだろう」と思うことが幾度となくありました。

そして私は、医師としては1人でしたが、島の仲間がいて、地域の人たちと何でも相談できました。そういう意味で、孤独を感じることはなかったのです。

波照間島でもできたのか、波照間島だからできたのか

昔は良かったとか、田舎はいいという議論は実現可能性がないので不毛です。波照間島がその良さを保つことができるのは、それが僻地だからでしょうか? こんなウェットなコミュニケーションは時代遅れの人間関係でしょうか?

波照間島の医療は僻地でかわいそうだと感じる人がいれば、ぜひ実際を知ってほしい、そういう思いで連載をしてきました。私は波照間島には都会にはない医療の仕組みがたくさんあって、そこに現代の医療がもつ課題を解決するヒントがあるのではないかと感じるのです。

波照間島の生活を通して、自分はどんな人間で、本来的な意味で医師とは何であるのか、医療は何であるのかを学ばせてもらったと感じています。波照間島でもできたのか、波照間島だからできたのかわかりませんが、それを最果ての地のことだと片づけるのではなく、いかに学び活かしていくかがこれからの私の課題です。


波照間診療所全景



ヤギと散歩

この連載は第18回で終了となります。