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第1回 そのとき、あれから -東日本大震災の雄勝病院の悲劇から5年-

執筆 辰濃 哲郎(たつの てつろう)

ノンフィクション作家

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東日本大震災から5年が経つ。
「患者を残して逃げられない」と病院内に留まった28 人の職員たちは
迫り来る津波に呑みこまれ冷たい海に放り出された。
助かったのは看護師1人を含む4人だけ。
患者を死なせてしまった負い目から
語られないでいた重い真実は5年経った今も変わらない。


あの日、患者と職員68人その全員が流された

夫のふくよかで、フワフワした大きな手の感触を、どんどん忘れていく自分がいる。それが悔しい。
毎朝、夫が出かける前にキスをするのが慣わしだった。どんなに喧嘩をしても、後に引かないようにするために始めた20年来の“儀式” だ。少々頑固で強引だが頼りがいのある夫を尊敬し、すべてを託してついてきたつもりだ。
その夫がいなくなって5年になる。


震災から1年半が過ぎた雄勝病院の写真
震災から1年半が過ぎた雄勝病院。建物が取り壊されたのは2年後だった
今、その跡地には、職員有志の手作りによる慰霊碑が建っている




宮城県石巻市雄勝町は、半島を囲む人口4,000人ほどの小さな町だ。海沿いのわずかな平地にひしめく民家や商店の一角に、鉄筋コンクリート3階建てとはいえ、ひときわ高く見える市立雄勝病院があった。市立病院とはいえ、医師は院長と副院長の2人だけだ。超高齢化に沈む過疎地の典型で、40床の病床はお年寄りでいつも満床だ。


裕子(58)の夫で副院長の鈴木光壽(当時58)が、その病院に赴任してから13年目になる。3年前には、病院から車で45分ほどの石巻市街地に、一戸建てを新築した。鈍く黒色に光る雄勝石をふんだんに使ったモダンなつくりで、リビングには夫の念願だった薪ストーブを置いた。夫は、よくこのストーブの前で寝転がって本を読んでいた。

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