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【連載】今さら聞けない! 基礎看護技術をおさらい

ナラティヴとは|ナラティヴと看護の接点

解説 吉田 みつ子

日本赤十字看護大学 准教授

【目次】

ナラティヴの基本知識

ナラティヴとは

 ナラティヴ(narrative)という言葉は、物語、語りという意味です。語られた言葉、内容、語り口などを指します。音声や文字で表されるものだけではなく、語られる時の身振りや表情など非言語的なものも含みます。

 ナラティヴについては、多くの研究者がその定義や概念を示しており、物語、語りという言葉の意味にはとどまらない、大きな広がりをもっています。また、ナラティヴは医療・看護の世界に限らず、社会全体に浸透しています。

 医療におけるナラティヴは、近年、「ナラティヴ ベースド メディシン(Narrative Based Medicine:NBM)」が重要視されています。これは「物語りと対話に基づく医療」という意味で、患者さんが語る経験や患者さんと医療者の対話を通して、患者さんの病いの経験や治療の意味に着目し、より個別性の高い医療を提供することを大切しています。

ナラティブとは

意味づけが重要

 ナラティヴは単なる語りではなく、そこに含まれる意味が重要になってきます。ナラティヴの研究者、マーシャ・ロシターは、「ナラティヴは意味づけの行為であり、経験に意味を与えていく方法である」と示しています1)。

 例えば、自分がとても「もやもやした気持ち」になったとします。そのときに、もやもやした体験を誰かに語ること、つまり言語化することによって、「なぜ私はもやもやしたんだろう」と考え、その状況や理由が腑に落ち、「だからもやもやしたんだ!」と何らかの意味づけができることがあります。そうすることで、もやもやした体験がストーリーとなり、経験となっていきます。

意味づけは更新される

 私たちの記憶のなかの出来事は、思い返すたびに意味が変わることがあります。皆さんも、「あのときはわからなかったけど、こういう意味だったのか」「あのときはこう考えたけど、じつは違ったのではないか」と感じることがあるでしょう。つまり、人の経験の意味は後から起きる出来事によって、更新されていくのです。


コラム 急変時のナラティヴ
 私が新人看護師だったころ、はじめての急変に出会ったときの話です。配薬のために病室を訪れると、患者さんがだるそうにしているので、声をかけようとした瞬間、眼球が上転し全身に痙攣が起こりました。私は驚き、ナースステーションに駆け込みました。先輩看護師が対応してくれ、事なきを得ましたが、急変時はその場を離れず、ナースコールで応援を呼ばなければならないという指導を受けました。もちろん急変時の対応は、知識として知っていたことでした。

 しかしながら、その後、トイレで急変に遭遇したときも、私はまたしてもナースステーションに駆け込んでしまいました。先輩看護師から再び、トイレにもナースコールはあるから、その場を離れてはいけないと指導を受けました。

 3回目の急変のとき、やっとその場を離れず対応することができました。1回目の急変時では、気が動転してしまい、知識としてあったはずの急変時の対応ができませんでした。2回目も同じく、1回目の経験を活かすことができませんでした。

 繰り返し同じような出来事が起き、そのたびに先輩看護師とのやりとりを重ね、私はようやく3回目にして、「急変した患者を発見したときにはその現場を離れるな」ということの意味を行為として現すことができるようになりました。


批判・検討することが大事

 そもそも意味づけというのは、自分が背負っている文化や価値観によって異なってきます。例えば、こちらが安楽を目的に実施したケアが、患者さんにとっては苦痛になることもあり得るわけです。

 そのため、看護、特に患者さんにかかわるような意味づけは、自分、またスタッフ同士で、それを批判・検討し、意味づけを変えていく必要があります。

なぜ看護でナラティヴが重要なのか

 患者さんは病いを通して、さまざまな経験をします。その患者さんを看るという営みは、人の経験そのものから離れることはありません。つまり、看護する人も看護を必要としている人も、人の経験に立ち入らざるを得ません。

 ナラティヴという概念は、「人の経験の意味」の重要性を教えてくれるものだと私は考えています。人とは、患者さんや家族、そして私たち看護師、他の医療スタッフ、すべての人を指します。つまり、臨床現場のいたるところにナラティヴはあるのです。

 一人ひとりの経験の意味を大切にしていくことで、みえてくる世界が広がっていきます。それは、自分の看護が広がることにもつながります。

ナラティヴと看護の接点

ナラティヴがケアの価値をつくる

 臨床現場では、先輩が後輩に、患者さんとのかかわりや失敗談など、看護の経験を話すことがあるでしょう。そういう語りが後輩に伝わっていくことで、その病棟のケアの価値がつくられていくのだと私は思います。

 しかしながら、先輩看護師の看護経験のナラティヴがもたらすものが、質の高いケアにつながっていくとは限りません。もし、病棟のスタッフの多くが、患者さんではなく効率を優先する考えであるなら、どうでしょうか。患者さんの利益にならないようなケアの文化が作られてしまうことになるでしょう。
特に、自分たちが苦労して築き上げてきたケアほど、それを変えることに対し拒否や抵抗感を抱きがちです。すると、実情には合わない、ひいては患者さんのためにならないケアを行っていても、その文化の中にどっぷりつかってしまうと新鮮な目でみることができなくなってしまいます。

 だからこそ、自分たちのナラティヴ、経験の意味を批判・検討し、現状を変えることを恐れないでいたいものです。

患者さんのナラティヴ

 患者さんの言葉は重要なナラティヴです。重要だと思われる言葉は、看護記録に記し、その情報をスタッフで共有して、ケアに反映していくことが大切です。

 しかし、私たち看護師は、言葉だけではなく、その声の抑揚や表情、日常の様子などから、いろいろなことを感じ取ります。それらもナラティヴとして重要ですが、「何かつらそうだな」などと感じても、発言など客観的情報がないかぎり、看護記録には残らないことが往々にしてあります。
 看護師が感じたことは、申し送りやカンファレンスなどで、「私は~のように感じました」と自分が感じたことを語っていきましょう。そうした場ではなくても、スタッフ同士のちょっとした会話の中で語っていくことも大切です。

 こうような語りによる断片的な情報と、そして自分が感じたことをつなぎあわせて、患者さん像がつくられ、そして更新されていきます。


コラム 50歳男性Nさんのナラティヴが教えてくれた食事介助
 Nさんは、脳腫瘍の手術後、首から下が麻痺してしまい、ほとんど動くことができません。Nさんの食事介助を始めた頃、Nさんから「もっとテンポよく口に入れてほしい」と言われ、なかなかうまくできず、Nさんをイライラさせてしまうことがありました。

 Nさんは、病気になる前は土木工事に従事していて、昼食は丼ものをかきこむように食べていたそうです。私は、きっと元気だったころのように、ごはんを勢いよく食べたいのかもしれないと思うようになりました。

 また、Nさんはテレビを見ながら食事をとることが日課でした。はじめは正面から食事介助をしていましたが、それではテレビが見づらいことに気づき、Nさんの隣に並んで食事介助をするようにしました。Nさんと同じ視線で、食事介助をすると、今まで見えなかったことが見えるようになってきました。おかずの照りやとろみなど食事やトレイの様子、そしてNさんの目の動きなどです。そうしたことから、Nさんが次に何を食べたいのか、何となくわかるようになっていったのです。

 そのうち、Nさんからの食事介助への注文も減り、食事時間をともに過ごすことにも違和感がない様子でした。でも私はいつまでたってもNさんの食事介助は苦手でしたし、Nさんが心から満足していると感じることはありませんでした。今、振り返っても「これでよかったのだろうか」と迷うことがあります。

 そんなときに出会った文章があります。それは、脳性麻痺で手足に障害がある女性が書いたものでした。

 介助者たちに対して「いつも迷いをもってケアをしてください」と言いたい。人間は「これでいいのだ」と迷いがなくなった時、血の通わないロボットのような冷たい手になってしまうのだと思う

 迷うということは、相手の反応と自分の反応に注意を向け、絶えずそのことを反省し知覚しようとしていることなのだと、迷いをもつことの意味に気づかされたのです。

 患者さんのナラティヴに接して、迷うこともあると思います。でも、迷ってもよいのです。それでも患者さんの言葉や様子から目をそらさずに、向き合っていくことが大切です。

*小山内美智子:あなたは私の手になれますか 心地よいケアを受けるために、中央法規、1997.


うまくいかなかったときこそ、ナラティヴを活かす

 経験を意識化することは大切ですが、絶えずそれをしてしまうと、業務や日常生活がままならなくなってしまいます。意識化されていなくても身体が動き、思考できることは、ケアを行ううえで重要です。

 ただし、実施したケアがうまくいかなかったとき、あるいは「何かおかしいな」と違和感をもったときは、一度、立ち止まり、これまでの経験を振り返ってみましょう。何かしらの気づきが見えてくると思います。

ナラティヴを教育に活かす

 ナラティヴは学習にも活用されています。ナラティヴ学習とは、ストーリーを通じた学習を意味し、3つのレベルで行われるとされています1)

 3つのレベルとは、①ストーリーを聞くことによって学ぶ、②ストーリーを語ることによって学ぶ、私たちが位置づけられているナラティヴについて気づき、検討・批判すること、背後にある前提を理解する1)、です。

 私が所属する大学では同僚らとともに、基礎看護技術の授業に「ナラティヴ・デモンストレーション」と称した、ナラティヴ学習を取り入れています。従来の看護技術の授業は、ビデオ教材を用いて看護技術の原理原則を教えていくというのが一般的です。

 それに対し、私たちの授業では、さまざまな場面を想定したシナリオを作り、教員が患者さん、ナースなどの役割を演じ、具体的な状況の中でどういうふうに看護技術が用いられるかをデモンストレーションします。物語をもった文脈でこそ用いる物品や個々の行為の順序の意味など、従来の原理原則の意味が状況を通じて浮かび
上がり、学生の学びを促すのではないかという考えに基づいたものです。

 このナラティヴ学習について、学生を対象に行ったアンケートでは、「物語だからひきつけられる」など、興味をもって授業に取り組んでいる一方で、細部の手順がわからないといった意見もあり、今後も検討を重ねていきたいと考えています。

 臨床でも、看護師同士が経験談を語り、また他者の経験談を聞くことによって、知らず知らずのうちに何かを学びとっているものです。看護においてナラティヴを取り入れた学習方法をどのようにしていくかは、探求され始めたばかりです。


コラム 1分間スピーチによるナラティヴ
 ある施設では、看護師がスタッフの前で1分間スピーチを実施している病棟があります。患者さんのことに限らず、休日のことなど、テーマは自由だそうです。これもナラティヴの実践例の一つだといえます。語り手が、誰に向かって語るのかによって経験の意味づけられ方も異なりますし、同時にその時の聴き手の反応によっても異なってきます。


【引用・参考文献】
1)マーシャ・ロシターほか著、立田慶裕ほか訳:成人のナラティヴ学習 人生の可能性を開くアプローチ.福村出版、2012.
2)T・グリーンハル,B・ハーウィッツ編、斎藤清二,山本和利,岸本寛史監訳:ナラティブ・ベイスト・メディスン―臨床における物語りと対話,金剛出版,2001.
3)吉田みつ子:看護技術 ナラティヴが教えてくれたこと.医学書院,2014.

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