お気に入りに登録

【連載】今こそ、 訪看デビュー 働き方が選べる!スキルが上がる!

【訪問看護】生涯バリキャリ派|あなたは どのタイプ? 働き方をみてみよう!③

取材 大島泰江

訪問看護ステーションコスモス

知識や経験、年齢を重ねても、現場で活躍し続けたいと考える人にとって、たとえ管理職であっても現場に出向くことが多い訪問看護の仕事は、大きなやりがいを感じられるようです。ここでは、常に学ぶ姿勢をもち、新しいことを吸収しながら、訪問看護の現場で20年以上活躍し続ける大島泰江さんの話をご紹介します。


目次


【大島泰江さんのProfile】
1984年 三井記念病院内科病棟入職
1997年 両国訪問看護ステーション入職
2002年 訪問看護ステーションコスモス勤務
2007年 訪問看護認定看護師取得
2016年 日本スピリチュアルケア学会認定スピリチュアルケア師取得

最初に訪問看護の基礎を学ぶ大切さ

 大島さんは、看護学校卒業後、3年間勤務した急性期病院を結婚・出産を機に退職。その後は、子育てをしながら不定期に外来などのパート勤務をし、長女が小学生になったころに訪問看護師として働き始めました。当時は、まだ介護保険制度が導入される前でしたが、テレビ番組でがん患者の自宅に医師と訪問する秋山正子さん(現・株式会社ケアーズ代表取締役/白十字訪問看護ステーション統括所長)の活動を見て、「私もこういう仕事をしてみたい」と思ったのがきっかけでした。
 
 そこで、両国にある訪問看護ステーション(以下、ステーション)で、まずはパートとして勤務し、その後常勤に。働き始めたころは、ブランクが長かったこともあって、1人で訪問して判断しなければならず、また、日常生活のなかでは利用者の症状が捉えにくいことに難しさを感じていたという大島さん。しかし、東京都ナースプラザの訪問看護基礎研修で最初の山を乗り越えることができたと話します。

 「研修では、訪問看護の制度や考え方など基礎を教えてもらいました。ここで学んだことで、働く場所は変わっても、ここまで長く続けることができているのだと思います」と、基礎を最初に学ぶことの大切さを強調します。

地域の特性に根差した訪問看護を経験

 勤務していたステーションが一時的に閉鎖になり、現在のステーションに入職しました。転職した当初は、地域性の違いに驚いたと話します。というのも、ステーションが位置する山谷地域は日雇い労働者の街。労働者の高齢化が進み、貧困や独居といった問題を抱えていました。
 
 「簡易宿泊所で生活する利用者さんの場合、所内でお湯を使わせてもらえず、ステーションからペットボトルで運んだことがありました。利用者さんの生活を支援するのは訪問看護として当然の役割。でも、その生活の基本さえままならない利用者さんも少なくないことを目の当たりにし、人が生きるということはどういうことかを考えさせられました」


利用者や家族から、電話で相談や問い合わせがあることも

 そうした現状を前に、大島さんの頭に浮かんだのはナイチンゲールの言葉でした。

 「ナイチンゲール曰く『看護とは新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔さ、静かさを適切に整えること』1)。現代社会では容易であるはずのことが難しいというケースを経験して、まさに看護の基本と原点がここにあると思いました」

 また、山谷地域という特徴的な地域で訪問看護を行う意義についてもこう話します。

 「もともと生活困窮者を支援する施設や団体が多く、当ステーションもその1つです。貧困、独居の問題などに地域全体が取り組んでいる。そう遠くない未来の日本の姿がここにあると思っています」


ステーションの屋上にはプランター菜園が。植え付けや収穫時には利用者が参加 することも


毎月2回、路上生活者を対象にした喫茶室「いこいの間」を開設。ステーション内に併設されたお風呂は、1日30人ほどが利用する

モチベーションを支えた学び

 大島さんは、20年間訪問看護を経験して、訪問看護では自身のモチベーションを維持していくことに難しさを感じる人がいるかもしれないと話します。


主任として、所長とのコミュニケーションは密にとるよう心がけている

 「訪問看護ではラダーはありますが、病棟のように、次は主任、師長といったポストが少ない。自分のキャリアを考えたときに、明確なステップアップがみえにくく、モチベーションを維持していくのが難しいと感じるようです。私の場合は、認定看護の教育課程など、学ぶことがモチベーションにつながっていきました。その学びのきっかけは、すべて利用者さんとのかかわりのなかにありました」

 最初の学びは、同ステーションで働き始めて4年経ったとき。大島さんは休職して訪問看護認定看護師の教育課程を受講しました。

 「訪問看護では、利用者さんによって必要なケアがまるで違う。それに、訪問看護師として働き始めて数年の間に、緩和ケアなど新しいケアの概念が普及し、社会制度も変わってきていました。もっと知識を深めたいと思い受講しました」

 まだ2期目で、実は認定看護師という資格がよくわからないまま飛び込んだという大島さん。それでも、第一線で活躍する先生の講義や受講生との出会いから大きな学びを得ました。

 「具体的なケアの学びはもちろん、事例のレポートを通して言語化することにより、これまで行ってきた看護を振り返ることができました。また、全国から集まった受講生たちとのネットワークができたことも、大きな収穫でした。各地域の特性を聞くことによって、ほかの地域だけではなく、自分の地域をあらためて知ることにつながりました。このネットワークでの交流は今でも続いています」

生きる意欲を支えたいと学んだグリーフケア

 認定看護師を取得した大島さんに、新たな学びの機会が訪れました。そのきっかけとなったのは、筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis:ALS)の高齢女性患者でした。子どもはいるものの、夫婦の絆が強く、「人の世話になるのでは生きているとはいえない」という夫の考えに従い、人工呼吸器や胃ろうなどの医療処置を拒否して、最低限の点滴処置で過ごしていました。最期に近づいたときも、延命処置はせず、そのまま旅立たれました。
 
 「利用者さんとご主人、そして私たちも十分に話し合ったうえの選択でした。でも1年後、ご主人と話す機会があったときにこうおっしゃられたんです。『看護師さんたちはわかっていたんだろう? ああやってすぐに逝ってしまうって』──この言葉を聞いたとき、当時は納得していたようでも、悔いが残ったのかなと思いました」

 その後、夫は糖尿病から脳梗塞を発症し、大島さんが訪問するようになりました。
 
 「ご主人は、いつも仏壇の前で『はやく迎えに来てくれ』と手を合わせていました。私には、そんなご主人を支える術がありませんでした」
 
 しばらくして、その方は入院し、病院で亡くなりました。そのときに、大島さんにある思いが芽生えました。

 「その人に生きる意欲がなければ、医療や看護は無力です。だからこそ、大きな喪失感を抱えてしまった人に対して、〝生きる意欲を支える看護〞が大切だと思ったのです」

 そこで、大島さんは同じ問題意識をもつ看護師たちと、所内にグリーフケアチームを立ち上げました。亡くなって1年経過したあとに、遺族にお便りを送り、故人を偲ぶとともに、遺族の安否を確認するようにしたのです。また看護師自身の悲嘆を表出する場も必要だと考え、看護師が定期的に集まり振り返る会を行いました。
 
 そんななか、もっと悲嘆のケアを学びたいと上智大学にあるグリーフケア研究所のグリーフケア人材養成課程を受講し、スピリチュアルケアの一環としてグリーフケアを学びました。
 
 「ここでの学びから、あらためてグリーフケアが生きる意欲を支えることにつながるんだと、私のなかで得心が行きました」

夢は地域にグリーフケアの拠点をつくること

 大島さんは、がん末期の男性Bさんのことを振り返ります。

 「訪問当初、Bさんはいつも険しい表情をされていました。しばらくして、『寝たきりの自分は何の役にも立たない』と苦悩を表出されるようになりました。その後、症状が安定したときに車椅子で散歩に出ると、Bさんは『自分の命が生かされている感じがする』とおっしゃったのです。それからは私たちにいろいろなことを話してくれるようになりました」

 大島さんをはじめ担当の看護師は、Bさんの言葉を傾聴し、その気持ちに寄り添っていきました。いつの日からか、Bさんから険しい表情が消え、穏やかに過ごすようになりました。そして、献身的に支えてくれた妻や看護師に「ありがとう」という言葉を残し、亡くなりました。

 訪問看護は思いどおりにならないことが多く、子育てと同じく‶自分育て”だと話す大島さん。

 「実際に、利用者さんの姿を通して、いろいろな価値観があることを知りました。訪問看護師は利用者さんの伴走者。伴走者であるためには、利用者さん一人ひとりに合わせて人間関係を築き上げることが必要です。そういう意味で、自分の経験は何1つ無駄になりません」

 最後に大島さんは、夢を語ってくれました。

 「私の夢は、この地域にグリーフケアの拠点をつくること。喪失を抱えている人は利用者さんや遺族だけにとどまりません。看護師やケアマネジャーなどのスタッフも同様です。そうした地域に生きる人々が悲嘆を表出でき、それを傾聴できる場をつくりたいと思っています」


Q.ステーションでの取り組みについて教えてください!
 当ステーションでは、宿泊所「おはな」、支援付きアパート「そら」「ゆい」を運営しています。これらの施設は、病状が悪化しても、住み慣れた地域で最期まで過ごしたいという独居の方のためにつくられました。通常の宿泊所やアパートでは、入居を拒否され、病院や地方の施設に移動させられてしまうという現状があるためです。また、私たちスタッフも最期までケアをして看取りたいという思いがありました。
 
 「おはな」は13室あり、スタッフが24時間常駐しています。支援付きアパートには、朝に清掃が入り、夕方には見守りを行っています。

Q.休日はどのように過ごしていますか?
 基本的に土日がお休みですが、当番制でオンコール対応があります。休日はマッサージに行ったり、身体のメンテナンスをしています。あとは趣味のピアノ。50歳から始めました。なかなか上達せず落ち込みますが、未経験者の気持ちがわかることが、実習に来た学生さんたちの指導に役立っています。初心に帰ることができるいい機会です。


 


<DATE>
特定非営利活動法人訪問看護ステーションコスモス

■所在地:東京都台東区日本堤1丁目12-6
■体制:24時間対応・ターミナルケア対応

生活困窮者にも医療・看護を提供することを理念に2000年に開設。山谷と呼ばれる地域を含む台東区、荒川区内を中心とした訪問看護、居宅介護支援、通所介護、健康相談のサービスを提供している。また、病気や障害を抱え、独居生活が困難である人々を対象に、支援付きアパート、宿泊所を運営。地域に根ざした活動を行っている。


引用文献
1)フロレンス ナイチンゲール:看護覚え書き 改訳第7版.現代社,2011.


この記事はナース専科2018年9月号より転載しています。

ページトップへ